先日飲みに行った先で、ある人が私と友人にこんな話をしてくれた。 毎日を刺激的に生活するということではなく、ありふれた毎日であっても、今日は昨日の続き的な考え方ではなくて、心に刺激を受けながらいろいろな事を感じ、常に新しい気持ちで1日1日を送ることによって、自分にとって大切にしたい何かが見つかったり、再確認できたり、それこそ働きたい場所が見つかったりするのではないだろうか。 |
先日中古CD店で、以前から探していた「トイ・ストーリー」のサントラCDをついに発見した。「2」のサントラはすでに入手していたが、「1」の方が品切れで、なかなか見つからなかったのだ。中古店で発見したそれは国内盤だったので、主題歌は、ランディ・ニューマンの英語ヴァージョンと、ダイヤモンド☆ユカイの日本語ヴァージョンが、両方入っていた。この主題歌の「きみの友達」という歌がぼくは大好きなのだ。作曲者ランディ・ニューマンの枯れた味わいの渋い歌声もよいが、ダイヤモンド☆ユカイの若気のいたりなシャウトも悪くない。どちらも甲乙つけがたいが、ぼくが車の中でいっしょに歌うのはもっぱらユカイくんの日本語ヴァージョンの方である。毎朝会社に向かう車の中でこのCDに合わせて歌うのがぼくの今の日課になっている。大声で「思い出せよ〜ともだち〜を〜」と歌いながら、このすばらしい映画の数々の名シーンの追憶に浸っているというわけだ。 「トイ・ストーリー」シリーズの魅力をひとことで言い表すのは難しい。第1作をヴィデオで見た時の感動をぼくは忘れない。じつは見る前はほとんど何も期待してはいなかった。史上初のフルCGアニメというふれこみだったが、ぼくはこのテの「史上初」とか、「画期的」とかいう謳い文句にはいつも眉に唾をつけて身構えてしまうタイプなのだ。そういう映画はたいてい仕掛けが派手なわりには、肝心の内容がどうでもいいようなものが多く、この映画もどうせろくなもんじゃないだろうという先入観をもっていたのだ。しかし「トイ・ストーリー」は違った。話が進むにつれて、CGアニメのおもちゃのキャラクターたちに、いつの間にかぼくは激しく感情移入していたのである。ラストシーンの、バズとウッディが一緒に空を飛ぶシーンのバズの名セリフ(『飛んでるんじゃないよ!かっこつけて落ちてるだけさ!』)に至っては、あろうことか感動のあまり鼻の奥がつーんと来てしまったほどだ。これは予想外だった。「トイ・ストーリー」はこのすれっからしの映画ファンの心の琴線をはげしく揺さぶったのだった。 「トイ・ストーリー」は、一般的にはフルCGアニメとしての技術的な側面ばかりが強調されるきらいがある。しかし、それがこの名作の美点のすべてではない。この映画の美点は、なによりも「ディズニー・アニメ」の王道を行くその正攻法のつくりである。「トイ・ストーリー」の原型には、まぎれもなく1940年のディズニー・クラシックス「ピノキオ」の影響があるのは、誰の目にも明らかである。ちょうど優れたロックンロールのミュージシャンが、エルヴィスやチャック・ベリーといった偉大な先達の仕事に常に敬意を払い、それらをきちんと踏まえたうえで自らの音楽を構築するように、この作品のジョン・ラセター監督が、相当丹念に過去の「ディズニー・クラシックス」の諸作品を研究したうえで、「トイ・ストーリー」の制作にとりかかっただろうことは想像に難くない。結果としてこの超ハイテクの衣装をまとったフルCGアニメの中身は、「ピノキオ」や「スノー・ホワイト」や「ダンボ」などと同様に、徹頭徹尾、ウオルト・ディズニーのフィロソフィが宿った、ある意味では、驚くほどクラシカルな「スタンダード」作品になった。そのことにぼくは心底感服させられたのである。 ではウォルト・ディズニーのフィロソフィーとは何か?それは、健全でオーソドックスな世界観を、徹底したマニアックなディテールで補完する、ということだとぼくは考えている。ディズニーランドに行ったことのある方はみなさんご存じだと思うが、あそこの凄いところは、どんなディテールでも決して手を抜かず、徹底して考え抜かれているというところである。この「トイ・ストーリー」でも、その精神は存分に生かされ、細部のこだわりぶりは尋常ではない。 たとえば主人公のおもちゃ、ウッディ、このおもちゃの元になったTVショー「ウッディズ・ラウンドアップ」の内容については「2」で詳しく語られるが、さまざまなキャラクターグッズからカントリー調のTV主題歌まで、おそろしく入念に作り込まれており、めちゃくちゃ楽しい。相棒の「バズ」にしても、元となる「スペース・レンジャー」が活躍する架空のテレビアニメ番組まで、わざわざご丁寧にディズニーは作ってしまった。ただしこれをビデオ化して売り出すところなどはいささか悪ノリしすぎの感もあるが、ぼくのようなおたく体質の人間はついついこれも買わなくちゃ・・・と脅迫観念に駆られてしまうところが悲しい。 声優陣の選択もふるっている。たとえば、気の弱い怪獣レックス役のウォレス・ショーン。この人はウディ・アレンの映画の常連で、たとえば『マンハッタン』では「前の夫は最高にセクシーな男で、特にベッドでは最高だった。」と恋人のダイアン・キートンが散々自慢するので、ウディ・アレンがいったいどんなマッチョな男が登場するのだろうと思っていると、実際現れたのが、禿頭で小男のウォレス・ショーンで、ウディの目が点になるというようなシーン(笑)、こういう場面に出てくる、とてもチャーミングですてきな役者さんである。(余談だが、この『マンハッタン』という映画、モノクロのカメラで切りとったNYの風景がすごくきれい!このB/Vの写真が動き出したようなかんじです。)ほかにもアルのおもちゃ屋の社長役がウエイン・ナイト(『氷の微笑』での怪演が記憶に新しい)だったり、ポテトヘッド役がドン・リックルズ(有名コメディアン。ちなみに日本語版は名古屋章。)だったり、このへんの役者の選びかたもじつにこだわっている。 それからもちろん主演のトム・ハンクスと、ティム・アレン!この二人の声の演技のうまさ!この掛け合い漫才のような呼吸のすばらしさは、本当におかしくておかしくて涙が止まらない。日本語吹き替え版での唐沢寿明と所ジョージもむろん健闘はしてはいるが、やはり大人のみなさんは、是非オリジナル版におけるトム・ハンクスとティム・アレンのオスカーものの演技を味わってほしい。本当に、この映画で彼らは役者生命をかけて(かどうかは知らないが )その手練のすべてを開陳しているといっていい。 「トイストーリーという映画の奥行きの深さは、こどもに見せるだけでは本当にもったいない。大人の映画通の心をくすぐる仕掛けが随所にある。しかし何より凄いのは、このマニアック映画があくまでも「カルト」ではなく、スタンダードなディズニーアニメだという点である。100年後の子供たちも、今の我々と同じように、この映画を見て、そのエヴァー・グリーンな輝きに感動するはずである。なぜか。「トイ・ストーリー」は時が流れてもけっして変わらないもの、変えてはいけないものを正面から見据えている映画なのである。ピクサーというコンピューター頭脳集団が、最新のテクノロジーを使ってかたちにしたものが、その永遠に変わらぬウォルト・ディズニーのフィロソフィーであることに、ぼくは心から感動してしまうのである。 |