「僕は東京生まれ東京育ちだから、帰れる故郷があるのってうらやましいな…。」 もし私が今、みなさんにとって故郷にも似たあたたかさを感じる場所は?と問いかけたら皆さんの中にいったいどんな景色が浮かぶのだろう?山の頂きから眺める青く煙る美しい山並み、すすきが揺れる小川のほとり、大好きだった小学校の校庭、もしかしたらそれは景色だけではなく愛するヒトの笑顔かもしれない。心に浮かぶイメージは様々だと思う。でももし今の私にとってそんな心が素に戻れる場所を故郷以外にあげるとしたら、まっさきに心に浮かぶのは海だ。 すべてが何故か懐かしい思いを運んでくれる。でも私ばかりではなく、この問いかけに海をイメージしたヒトは多かったのではないだろうか?地球が幼年期だった頃の海水の成分は人間の血液と全く一緒だったと言われている。もしかしたら私達は何千万年も昔、体の中にみな小さな海を抱えて陸へとあがり進化を遂げたのではないだろうか。だから私達が海に対して抱くさまざまな感情は、言葉では決して説明できない太古の記憶によるものなのかも知れない…ふとそんなことを思った。この地球に生きる哺乳類は海から陸に上がり、そして長い時間をかけ今のカタチへと進化を遂げたが、およそ4000万年前とも5000万年前とも言われる昔、海から上がり陸上で生活していながら逆に海に帰ることを選んだものもいる。それは、この地球で最も大きい生き物クジラである。クジラの祖先は陸上から餌を求めて再び水中に入り、長い時間を経て現在の姿になったと考えられている。人間と同じ哺乳動物でありながら人間とは逆の生き方を選んだクジラ達。その姿を一目見ようとホエールウォッチングに出かける旅行者は後をたたない。私もその例にもれず、3年ほど前沖縄にホエールウォッチングに出かけ、ザトウクジラが飛沫をあげ海面から跳ね上がり空中を回転する姿に歓喜の声をあげた一人である。 いま私達がいろいろな意味で海の生き物達を求めるのには、いったいどんな理由があるのだろう。私達が陸での生活に合わせ確実に進化を遂げてきた中で、海に生きるものたちは太古の昔から変わらぬ生活を続け季節により生活の場を変えながら地球の半分を回遊している。また言葉をもたないクジラは音波で会話をしていると言われているが、実に30万ヘルツという超音波まで出すことができるそうだ。この超音波は感情や発情、仲間であることを示すための他、獲物の場所や自分の場所を知ることを目的に使われる。この音波を通してクジラに自分達の思想を伝える能力があるかどうかはまだ不明だが、子供に対して深い感情を抱いているのは立証されている。彼らも私達と同じように喜んだり悲しんだりしながら海の中で生活をしているのだ。皆さんは子クジラを連れた母クジラを、別名『デビルフィッシュ』と呼ぶことをご存知だろうか?子供を愛する母親のイメージとはかけ離れた恐ろしい響きをもつネーミングだが、実は子供に危害を加えようとするものに対して母クジラは恐ろしいほどの攻撃性を発揮する。時に母クジラは自らを犠牲にしてまで子供を守ろうとする。その姿を表現したのが『デビルフィッシュ』というネーミングだ。クジラの子供達は親の愛情を一身に受け成長する。だから母クジラに対して絶大な信頼を寄せていると言われている。また小型のハクジラの総称であるイルカも愛情の深さはとても大きい。群れをなして移動するイルカは仲間が網に掛かってもがいていると、そのイルカのそばを決して離れようとせず、いつまでも励ますように鳴きつづけ、時には網に噛み付き仲間を救い出そうと懸命に努力をする。またイルカは涙を流して泣くという説もあるほどだ。近年アメリカでは自閉症など心の病を抱える患者の治療にイルカを用いるケースも増えているそうだ。それは彼らが発する何かが人間の脳や体にいい形で作用するからだ。 親が子供を、子供が親を殺してしまうという痛ましいニュースが後をたたない人間社会。私達は、”いのち“が新しい”いのち“を生み育くむという長い繰り返しを通し、今こうしてこの地球に存在しているということを忘れかけているのかもしれない。あたりまえのことを太古の昔から忠実に守り、自分達のスタイルを崩すことなく今もなお生活を続けるクジラやイルカたち。彼らは癒の恵みを私達人間に与えながら、自然と共に生き、また生きるものとして命を尊ぶという基本的な姿勢を私達にメッセージし続けているのではないだろうか。太古の昔、海を出て陸での生活を選んだ人間と、陸へあがったもののまた再び海へと帰っていったクジラ達。地球に存在する全ての”いのち“を育みつづけてきた母なる海は、クジラ達と共に私達が愛にあふれたすばらしい未来を築くことを願っている。太古の記憶に眠る第二の故郷として… |
大自然の圧倒的なパワーに触れた時、人々の心は感動に震える。そしてその美しさ、力強さは時として壮大なテーマを投げかける。 先日地球をテーマにした映画を見る機会があった。あらゆるジャンルで活躍するプロフェッショナルが「地球」「自然」についてそれぞれの観点で話すという、興味深い構成のドキュメンタリーだった。中でも野生のチンパンジーの研究をしている女性と有名なプロサーファーの話はとても印象的だった。「幼い頃、母からプレゼントされたチンパンジーのぬいぐるみが全てのきっかけだったのよ!」と嬉しそうに話すその女性の研究家は、チンパンジーが道具を使うことを発見した有名な霊長類学者である。彼女は20代という若さで母と二人でゴンベのジャングルに入りチンパンジーの調査を開始した。長い時間森の中でチンパンジーと共に生活をしていた彼女は、この世の中に「死」というものがないことを改めて感じたと話していた。一本の老いた大木が死ぬと、そこから新しい命が生まれる。あるものは死ではなくて『循環』だと… 話はちょっと脱線するが、最近の風潮として幼い子供達に「死」についてきちんと話ができない親が増えているそうだ。子供達の心を傷つけまいと「死」について言葉を濁してしまう大人たち。でも死が封印されることによって、命の尊さを理解できずに人の命を奪うという少年犯罪が繰り返されてしまうのだとあるコメンテーターがTVで話していた。この世に生を授かったものは、人間であれ、動物であれ、植物であれ、いつか必ず100パーセントの確率で死を迎える。言ってみれば、この世で100%という絶対的な確立を誇るのは生ではなく死なのだ。死を『循環』だと語る研究家は最後に、この世に生きる全てのものは大きな命の一部であると語っていた。 私達はこの地球に生を授けた責任として、生きることと死ぬことについて悲観的にではなく、真正面から愛をもって話し合っていく必要があるのではないだろうか。私は彼女の言葉にそんなことを感じた。 そしてもう一人の主人公である有名なプロサーファーは、どんな巨大な波も自在にのりこなす神と呼ばれる存在である。10代でサーフィンを始めたという彼は、若い頃から波との時間を生活の一部として楽しんできた。しかしBig Waveと呼ばれる巨大な地球のエネルギーにのることは、命を落とす大きな危険性をはらむことである。彼は、命を神の手にゆだねて巨大な波へと立ち向かっていくのだ。私は常々命の危険をおかしてまで巨大な波にトライするサーファー達は、どんな思いで波へ向かうのだろうと深い興味を持っていた。映画の中で彼は、大自然の力は人間にとって決して抵抗できるものではないと語った後、命を奪われるといった悲惨な結果にならない為には、『共に歩む』という意識をもつこと、自分はいつも海の力の一部になりたいと願っていると、時おり吹いてくる風に表情を和らげながら静かな口調で語っていた。自分の力を誇示しようとすれば他者との調和は計れなくなりバランスが崩れ、なんらかの歪みが生まれる。しかし『共に歩む』という意識で向き合うことが出来れば世界は広がり新しい関係が生まれるのではないだろうか。そして私達も無限のパワーを秘める自然の力の一部となる事が出来るはずだ。 人類の誕生は今だ大きな神秘のベールに包まれているが、私達人間は人類誕生の何百万年も前からこの地球に広がってきた巨大な自然に包まれ、この地球に生を受けた。地球が幼年期だった頃の海水の成分は人間の血液と全く一緒だったともいわれる。またチンパンジーと人間の遺伝子は98%同じであると言われている。この世界に存在する命のすべてがつながっていて、みな他者の存在によって生かされていることを改めて感じたとき私達は小さな存在でありながら、もっと大きな世界を、そして私達を包む大きなあたたかさを感じることができるのだろう。 決してあなたは一人で生きているのではないのである。 |